任脈・督脈

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第7回
任脈・督脈

松本 岐子

鍼灸界の風雲児であるキャプテン岐子が
風門からの風を受けて尿(いばり)川を航行。
その先には宝物が隠された光の渦が!

任脈・督脈の由来を探る

任脈と、その対とされている督脈がそれぞれどのような役割を担っているのか考えていきたいと思う。だがその前に、人体の「動物性・植物性」という対照性と、それに関連のある「舌」との共通の理解を挙げておきたい。

「……この感覚・運動を営む動物器官は、実は栄養のほとんどを消費するので、食の相では主たる植物器官が逆に従たる動物器官のために働き続けるという結果になる。言ってみれば“食うために働く”のか、それとも“働くために食う”のか決定が困難である。…(中略)
いま、動物のからだを外から眺めたとき、そこには植物物器官と動物器官を象徴する、双極的な構造を見ることができる。まず、からだの前端には植物器官の門構えと して 『口』が、そして動物器官の入口を代表するものとして『眼』 がそれぞれ開口する。われわれは、これを『栄養門』および『感覚門』と呼ぶ。一方、からだの後端には、植物器官と動物器官のそれぞれ出口を構成するものとして、『陰部』と『尻尾』を同様に見ることができる。これらに対し途中の胴部では、植物器官は内臓系となって、動物器官の体壁系に完全に包み込まれ、外からこれを見ることはできないが、しかし、はじめに述べたように、この両器官の『腹-背』の分極によって、腹側の筋肉が、呼吸・排便・排尿といった植物過程に、また背側の筋肉が個体運動という動物器官にいずれも密接に関与するところから、われわれは腹背の両側面を、それぞれ植物性と動物性を象徴する双極の形態として眺める」
(三木成夫.生命形態学序説-根源形象とメタモルフォーゼp.77.うぶすな書院より)