第3回 神庭考(2)

第3回
神庭考(2)

松本 岐子

鍼灸界の風雲児であるキャプテン岐子が
風門からの風を受けて尿(いばり)川を航行。
その先には宝物が隠された光の渦が!

 

【精と神 ~生のはじまり~】

『霊枢 経脈篇10』には、現代で言うところの発生学が書かれている。
「人始生、先成精。精成而脳髄生。」人始めて生ずるや、先ず精を成し、精成りて、脳髄生ず。
「人の始まりは、先ず精成し、そして脳髄が生まれる。」と訳される。
この「人始生、先成精」をもっと深く調べていくと、霊枢「本神篇8」と交わるのではないか。


そこには、「両精相搏謂之。故生之来謂之精。」と表現されている。
「母の精と父の精が相搏、このことを神という。」
これにより「生(いのち)」が芽生えるということを表わしている。
ところが、霊枢「決気篇30」では少し表現の仕方が違ってきていると思われる。それは以下のようなことである。


「両相搏、合而成形。常先身生、是謂精。」
「両神が相搏ち合して、形を成す。身生ずるに先だつものを精という。」
これらのことは 両神(陰陽)が合して男女の形を生ずる元を成す。 精は人体が形成される以前の物であり、精があってこそ始めて形が生じることがわかる。よって、生命の誕生には、必ず精の存在が必要で、精とは生殖作用上の精を指し、現在の精子と卵子に近い物であることがわかる。つまり精子と卵子の合体は受胎(受精)により存在、「神」、そして「精」が関わっていることが考えられる。
霊枢「天年篇」には神を失うことは「死」、神を得ることは「生」である、ということが書かれている。神と精、この後に丹田ができたのではないかと考える。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について