第2回 神庭考(1)
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第2回
神庭考(1)
松本 岐子
鍼灸界の風雲児であるキャプテン岐子が
風門からの風を受けて尿(いばり)川を航行。
その先には宝物が隠された光の渦が!
はじめに
2018年11月号に「鍼によるDLPFC賦活治療(6)本神(穴)篇」を執筆した。『黄帝内経霊枢』「本神篇 第八」には、「黄帝問于岐伯曰、凡刺之法、必先本于神」(黄帝岐伯に問いて曰く、凡そ刺の法は、先ず必ず神に本づく)という一文がある。その中で、「神に本づく」の「本」とは、英語でorigin、ルーツ、根本、原点など、つまり神のルーツと訳され、まさしく「本神」(穴)のことと推察される。DLPFC治療がパニック障害にも効果的であり、それが甲乙経の頭臨泣に近い「本神」穴と被っていることから、前頭前皮質(prefrontal cortex: PFC)と関係あるのではないかと考えた。PFCにおける症状に、「神」のツボである「本神」、と真ん中「神」のツボ「神庭」を使用した。「本神」について理解できたものの、「神庭」とはどういうことか、漢字の意味を調べたら驚愕の事実を知り、今回は「神庭」について論じたい。
神庭の「庭」は庭じゃない
もう一度、「神」について振り返りたい。『霊枢』天年篇 第五十四に「失神者死 得神者生也」(神を失う者は死し、神を得る者は生きん)とある。訳すと「神気を失えば死んでしまい、神気があってはじめて生命を維持できるのです」。これが一番うまく「神」をイメージしていると私は思う。本神篇においても、思慮やネガティブな考え方をしていては「神」が傷つき、恐怖に惑わされ続ける、と表現されている。そして、PFCの真ん中「神」のツボが「神庭」である。神の庭、「庭」とは「garden」なのか。大抵の辞書には、そのような意味で書かれていた。しかし、角川字源辞典(昭和53年.11刷)だけは違っていた。私は、中国人の秀抜さに感銘を受けることになる。その意味とは、
【庭】の字義は、「母屋の前の人の直立する広場」の意。
中国では母屋の前は石畳で、そこに臣下が北面して序列に従い立った。
したがって我が国のように、「屋前の木を植え込んだ庭園」の意味ではない。

神庭の「庭」は、古代中国では我々が思っているような「お庭(garden)」という意味ではなかった。「母屋の前に敷き詰められた石畳、その上に臣下が北面して序列に従い並んで立つ」とある。母屋はここでは宮廷の正殿。臣下とは、君主に仕える者のこと。「臣下が北面して」とは、いわゆる「天子南面す」により、臣下は天子に向かって立つことから「北面して」となる。「天子南面」は、易経の「聖人南面して天下を聴く」から来ている。天子(皇帝)が北極を背にして南を向く。つまり、皇帝は北に座って(玉座)、南を見渡している。皇帝が玉座に着くと、泰然として動かない。たとえるなら北極星のごとし。君主(皇帝)は北極星、そして臣下は北を向く。臣下は神庭にいて下(北)を見ると、中極(北極星)で君主が玉座に座っている。その母屋の前に敷かれる石畳の上で臣下は隊列を崩さないでいるのであろう。