🟠精と神そして髄

🔵コラム HANZAKI🔵  第三回

今回の岐論は「神庭考⑵」として、霊枢の中の、古代中国の発生学とも言える記述をもとに考察されています。キーワードは「精と神そして髄」。

🟠精と神

精といえば、「精力」とか「精をつける」とか、元気力のイメージ。神は神様で、人間離れしたものという感じです。精と神を合わせて「精神」といえば、意識、心の有り様で、物質=外に現れたものに対する内側の現れという認識でしょうか。 広辞苑でも、「精神」は、

「①(物質・肉体に対して)心。意識。た ましい。②知性的・理性的な、能動的・目的意識的な心の働き。根気。気力。」

などとなっています。

ところが、霊枢によれば、精と神は、物質に対するというより、生命を生ずる根本的なものであったようです。そこでまず精と神の文字の成り立ちについて見ていきましょう。

「精」については、『説文解字』に、

「米を擇(えら)ぶなり」

とあり、『角川新字源』では、

「しらげる。きよい。くわしい。こころ。たましい。もののけ。」

「しらげる」とは玄米をついて白米にすること。つまり「精米」です。他の主要な辞典もほぼ共通しており(字通、諸橋大漢和、漢和大辞典、角川字源辞典)、特に角川字源辞典では以下のように説明されています。

「米を択び分けて清潔にする、あるいは、よりわけて清潔にした米の意。ひいて、純粋・微細・緻密などの意となり、さらに精神・精霊などの意になった。」

米を白くする→純粋

というイメージになるわけですが、それなら「粕」とすればいいじゃないかと思うわけですが、これは酒粕なんですね。
精は「米+青」です。

「白」にも純粋なイメージがあるのですが、陰的な透明感なのに対し、青には生命の息吹というか陽的な透明感があるのではないでしょうか。空や海、清水の澄み切った青色ですね。『説文解字』でも「青」は「東方の色なり」で、季節の始まり、生命の始まり、気の始まりを感じさせます。
「白」は「西方の色なり」で、有から無、そしてまた有という再生に向かう色とも言えます。「白」は白骨からの象形とも言われます。

眩しく光る白い米が、生命という神秘の最も微細な形とイメージされたのかもしれません。そして、気は「氣」であり、米を蒸すときに出る蒸気。元気つまり気の元がやはり米でもあるわけです。

「神」については、『説文解字』に、

「天神、万物を引きて出だす者なり」

いわゆる造物主であり、日本の辞典でも、例えば藤堂の『漢和大辞典』では、

「かみ。自然界の不思議な力を持つもの。理性ではわからぬ不思議な力。こころ。精神」
「示は神霊の降下してくる祭壇。そこに神々の心が示される」
「申は稲妻の伸びる形」

「角川字源辞典」より。「神」の金文の字形。
雷光が自然界の不思議な力の象徴であり、神威を示すものと考えられたようです。 では雷はどうか。 雷は靁とも書き、甲骨文字、金文は、

説文解字では、

「陰陽薄(せま)り動き、靁雨し、物を生ずる者なり。」

雷は、

「大気中で大量の正負の電荷分離が起こり、放電する現象です。放電する際に発生する音が雷鳴で、光が電光です。雲と地上の間で発生する放電を対地放電(落雷)といい、雲の中や雲と雲の間などで発生する放電を雲放電といいます。」
(気象庁ホームページより)

まさしく、「陰陽が迫って動く」ですね。落雷に畏怖を感じ、神の力の象徴と考えたということでしょう。
日本語でも雷は「神鳴り」。そして「稲づま」とも言われ、稲を実らせる力とも考えられていました。
「精」も「神」も米に関係あるところも興味深いところです。

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